車いすプロアスリート 廣道 純さん
車いすで各種の陸上競技やトライアスロンに参加する国内では数少ないプロアスリート
として活躍するかたわら、車いすスポーツ大会を主催し、障害者の社会参加を支援している。
「いつ死んでもおかしくないような生き方をしていた。本当に世間知らずで未熟な少年だっ
た」
平成元年、堺市の高校に入学したばかりのころ、友人が盗んだバイクを無免許運転で
一晩中乗り回して帰るところだった。転倒し、歩道の縁石で背中を強打し、脊髄を損傷した。
気づいた時は病院のベッドの上。事故前後の記憶がなかった。一命を取り留めたが、
寝たきりの入院生活が始まった。金具で固定した背骨がずれないように首の骨も固定して
いるため、一人では寝返りも打てない。三か月がすぎ、ようやくベッドの上で体を起こすこ
とができたころ、父親から「お前の脚は一生うごかへん」と告げられた。
不思議と絶望感はなく、むしろ命が助かったことへの感謝の気持ちがわいてきた。
「生きたくても生きられない人がたくさんいる。こんなことで負けてどうずんねん。」
小さなころからスポーツが好きで体操や陸上をしていたため、すぐに車いすの乗り降り
などを修得。教えることがなくなった病院の理学療養士はかわりに、長居公園で練習して
いた車いすの陸上競技グループを紹介してくれた。
やがて設計会社で設計図を制作する仕事を得たが、仕事以外の時間をトレーニングに
費やし、競技会に参加し続けた。
車いすマラソンでパラリンピック陸上競技の日本代表を目指すトレーニング仲間を見て
「いつかは自分も」。新たな目標が生まれた。
11年、自動車部品会社のホンダ太陽(大分県)に入社。翌年パラリンピックシドニー
大会では陸上競技800m走で銀メダルを獲得。続くアテネ大会でも同競技で銅メダルを
獲得し、才能を開花させた。
現在は、プロアスリートとしてTDAラムダに所属し、大分県をベースに年間約20回の
大会に出場している。今年4月には、石垣島で行われたトライアスロンレースにただひとり
車いすで初出場し、1250人あまりの中312位で完走した。
競技以外でも、「少年時代に周りの人に迷惑をかけた分、人に役立つ生き方をしたい」
と、全国の学校や企業で講演活動をし、自分の経験を紹介している。
「大きな壁にぶつかっても、生きていればいくらでもチャンスはある。障害者も健常者も
関係なく、努力しだいで夢はかなえられる」と人々に語りつづけている。